七夕の由来と願い事をするのはどうして?意外と知らない七夕伝説

七夕の由来と願い事をするのはどうして?意外と知らない七夕伝説

七夕と言えば、織姫と彦星が1年に1度だけ会えるという七夕物語が有名で、竹笹に願い事を書いた短冊を飾ったりしますよね。

子供に、

  • どうして、織姫と彦星は1年に一度しか会えないの?
  • 七夕になるとどうして短冊に願い事を書いて飾るの?

そう聞かれると、きちんと説明できるほどわかっていない、なんて事ありませんか?

というわけで、今回は七夕の由来をわかりやすくまとめてみました。

七夕の由来には3つの説がある

天の川の拡大写真

七夕は本来、「七夕(しちせき)の節句」と言って、5月5日の端午の節句などと同じ日本の五節句の1つです。

日本の昔からある行事は中国の風習と結びついたものが多いのですが、七夕は以下の3つが合わさったものがもっとも有力であるとされています。

  1. 織姫と彦星の七夕伝説
  2. 中国の乞巧奠(きこうでん)
  3. 日本の棚機(たなばた)

では、次にこの3つの説を詳しく見ていきましょう。

織姫と彦星の七夕伝説

和装の男女が手をつないで歩いている様子

あなたも幼い頃に一度は読んだであろう、かの有名な七夕物語。

詳しい内容を忘れてしまった人のために、簡単にあらすじをご紹介します。

「天の神様には、織姫という名の娘がいました。

この織姫ははたを織って神様達の着物を作るのが仕事で、とっても働き者。

そんな彼女が、同じく働き者の牛飼いの青年、彦星と出会います。

二人はすぐに恋に落ち、神の許しも得てめでたく結婚しました。

しかし、結婚した途端、働き者だった二人は夫婦生活を優先してばかりで、働かなくなってしまいました。

怒った神様は二人を天野川の両岸に引き離し、一生懸命働けば、年に一度だけ会う事を許すと告げました。

それから二人は年に一度だけ会える七夕の夜を待ちわびながら、一生懸命に働く事になったのでした。

七夕の夜、織姫は天野川を渡って彦星のところへ会いに行くのですが、雨が降ると天野川の水かさが増えて渡る事ができないという。」

思い出しましたか?

ところで意外と多く勘違いされているのが、織姫と彦星が恋人同士だと思われている件

実は、二人は結婚している夫婦です。

夫婦なのに引き離されているなんて、よくよく考えると不憫な話ですよね。

ちなみにこの七夕物語は、旧暦の7月7日に織姫星(織姫)と牽牛星(彦星)が、天野川を挟んでもっとも輝いて見える事から、この日を年に一度のめぐり逢いの日と中国で考えられ、日本に伝わったのだそうです。

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中国の乞巧奠

奈良時代に、織姫と彦星の物語と一緒に中国から伝わってきたのが「乞巧奠」という風習です。

織姫にあやかり、女性が裁縫の上達を祈願する行事で、7月7日の夜、祭壇に針や糸などを供えたのだそうです。

日本に伝わった奈良時代には、孝謙天皇という女性天皇が芸能や技巧の上達を願って乞巧奠を行なったと言われています。

こうして、時とともに裁縫だけでなく、書道や芸事の上達を祈願するように形を変えていったと考えられているようです。

日本の棚機(たなばた)

古来、日本では七夕はお盆を迎える前の禊の日であり、「棚機津女」という行事が行われていました。

これは旧暦7月6日~7日に行われていた行事で、村で選ばれた乙女がこの時期、訪れる神様のために水辺の機屋(はたや)に籠るというもの。

この選ばれた乙女の事を「棚機津女」を呼び、「棚機津女」は神様が訪れる7月6日の夜に水辺の機屋で神様に捧げる布を織り、棚にお供えします。

そして神様が帰った翌日の7日「棚機津女」が機屋から出てきた時に笹竹やお供えものを川に流し、罪や穢れを払う「七夕送り」という禊を行なったそうです。

水辺で禊をすることで、災難との関わりを絶つと信じられていました。

ちなみに、「七夕」(しちせき)を(たなばた)と読むようになったのは、この棚機に由来していると言われています。

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七夕の願い事とは

七夕に願い事をする風習は、織姫にあやかって裁縫の上達を祈願する行事と、そこに書道や芸事などの上達祈願、そこへ神様への織物を織る「棚機」が合わさって現在のような形になったのだと考えられます。

ちなみに笹竹に短冊に飾る理由は、竹や笹は昔から神聖なものとされているからだそうで、立派な笹竹は神様が降りてくる目印になるようです。

まとめ

いかがでしたか?

七夕も古来伝わった風習が少しずつ形を変えて、今のような形に伝承されているようです。

由来がわかると、楽しくなりますね。

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